障害を持った際の①ショック期に続く2段階目です。
否認
事実として認めないこと、承認しないこと。新聞やニュースなどで事件があり、容疑者が捕まり、事情聴取では否認しているなどの話が持ち上がりますが、このような場面とはだいぶ違いがあるようです。
障害を持った体になったという事実がすでにある場面ですね。事件があったけどその事実について自分がやったのか?やってないのか?という確認(事情聴取)の際に、やってないことを主張するときの否認とは大きく違いがあります。
骨肉腫という病気で自分の足を切断してしまわないと全身への転移の危険性があり下手すると命を落としかねない状況であるときに、当然のように命優先で考えると足の切断を考えるものだと思います。
交通事故半身不随となり、気づいた時には病院のベッドの上で看護師にされるがままの状態で自分では動かそうにも動かせない状態が分かったとき、どうにもしがたい、やるせない気持ちであると想像されます。
なった人にしか分からない状態、気持ちであることは確かです。
前者、足を切断しないと命が危ないので切断しなければいけないと言われたとき、
後者、リハビリをしても自分で足を意識的に動かすことができないと言われたとき、
どのような言葉が浮かぶのだろうか?
「そんなはずはない」「うそだろ」「なんで」「昨日までは普通だった」「なんで自分なんだ」「どうしてこうなった」「なにか悪いことをしたのか?」
ご家族のテレビの大音量でお悩みの方へなど、現実を否定するような言葉が思い浮かぶのではないでしょうか?
今まで意識することなくできていた。足に障害を負ってしまった場合、立って歩くということができない。それがほかの誰かではなく自分の身に襲い掛かってくる。立つときに各関節を動かし、筋肉に力を入れ、歩くときにはバランスを保ち、前に後ろに横にと移動できる。ごく普通に動けていたら意識することもなかったと思うこの動作。障害を負ってしまったときに気づくのであろうこの動作は、関節、筋肉、が動かないことが分かってから振り返る、思い返すことができるのかもしれない。
自分の体が思うように動かせないことが分かってから・・・
まさか自分の体が動かないなどという出来事が起こることを予測できる人などいないでしょう。
TVでよく見かける、体に不自由を負った方を見た時に感じる感情は、自分が同じようになるとは思っていないから全く別物だろう。
そんなはずはない、動くはずだろう、自分の体なんだぞ・・・
否定してしまうこと認められないこと
それが否認です。
体が動かないことに集中した投稿となっているが、表面上は見えない障害もある。内臓系の病気や悪性腫瘍(癌)など
「告知」という行為は病状説明とも重なるが、医師からまたは家族からの話を受ける際に出てきますが、ほとんどは医師からでしょう。例えば、健康診断の結果から精密検査を受けられた見た目には何不自由なく過ごされている人が「あなたは癌です。予後期間はこれから〇年後です。」と言われた時、どのような気持ちになるでしょう。
まずは①ショックを受け、すぐに②否認するのではないかと思われます。もしかしたら癌なのかもしれないと思いながら告知を受ける方もいらっしゃると思いますが、実際に告知されると「やっぱりそうなのかぁ」と思うこともあるでしょうが、「違ってほしかった」という気持ちも持っていたのではないかと推測されます。中にはこの結果がおかしいのではないかと思い、ほかの医療機関での検査を行う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
筆者が仕事上、お会いするお客様方は介護サービスを必要とされている方々なので、すでに①ショックと②否認の過程は過ぎておられる方が多いです。なかには、介護サービスを提供している期間内にあらたな障害が見つかり、思い病んでいる方もいらっしゃいます。
否認したくなる気持ちは分かります。と同調しても告知を受けたわけでもない我々が言っても、現実味はなく、そばにいる介護者はただそばにいる、「医師の説明では・・」と医師や関係の方々から聞いた話を持ち出す程度のことしかできない時期であることが予想されます。
本人がその体に起きている障害や病気を自身の体に起きていることを
「受け入れる」とまではいかないにしても、理解できた、意識できた、わかった、と言えるようになった時がこの段階の終わりと思われるが、記憶に残る不自由なく、意識なく生活をしていた頃を思い出すとまた「否認」してしまう段階に戻る可能性も十分にある。
続く・・・
出典:集英社ヤングジャンプコミックス『リアル』著者:井上雄彦
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