いろいろな宗教があります。岡山県浅口市金光町に本部を置く、金光教。
その教会への介護タクシーを対応した。
教会は岡山市の中区。車椅子のお客様の住居は倉敷市、片道約20キロの運行である。
住居はサービス付き高齢者住宅。一般の人でも出入りできるが、出入り口でインターフォンを押して名乗るとスタッフが開けてくださるという方法で中に入れる。お部屋までお迎えに行くと、車椅子の乗換え介助を支援し、お荷物確認し出発。長距離の乗車となるため、車椅子はリクライニング車椅子を選択されました。以前からご利用のあるお客様は、少しづつお体の動きが良くなっているようだ。
タクシーを出発させて、道中にいろいろとお話される。お元気なころは車の運転をされていたお客様は、道についてのお話もされていました。現地の教会には娘様が待っている、CDを教会のバザーに出していただくなど。
なんと本日はおかやまマラソンでした。岡山マラソンに出場した経験からコースを考えて運行する。
教会に到着すると娘様が出てこられる。以前も来たことのある教会なので車椅子が超えることのできない段差があると把握していた。靴脱ぎ場の板を2枚段差に渡してスロープとして使用する。長さが違うスロープとなるために車椅子はもちろん斜めになる。乗り心地は無関係にただ教会内に入ること、それがお客様の望みであり私の使命。娘様の助けも受けながら教会内へ入ることができた。車椅子の空気が少なく、スロープ移動介助が重かった。。
神道というのだろうか、金光教は神様仏様の神様の方である。お祈りというのかお経とも違う言葉で拝まれているような感じでした。約1時間無宗教の私はただじっと待った。お客様になにかあったときのための付添である。ヘルパー資格どころかケアマネ資格も所持していた(現在失効中)私はなんでもできるヘルパーとしてお客様に安心されているようだ。
無事1時間20分のお祭りが終わり、お手製のスロープを降りて車に乗り込み、娘様とはお別れ。教会の方から、どうやってこの車椅子が入るんか?と思ったんやけど関心やねぇ、ご苦労さんと声をかけてくださる。
お客様は普段お会いする機会の少ない娘様と少しでも長く居たいという思いが伝わってきた。帰りに近くの駅か倉敷の駅の方まで乗って行かれるか?席は空いているのでとお伝えするも、岡山に来たから岡山駅をうろうろしたいと思ってるので大丈夫と返事をいただく。お客様は少し寂しそう。
行よりも帰りの方が口数少なく感じた。天気が悪く、疲れのせいだろうか。
信心をするということ、信心のたよること、それは精神的な問題だと思っている
ようするに気のせい、気の持ちようで。
でも嫌なことがあると頼れるものがあるのとないのとは違う。
そのような話をした。
お客様の気持ちも運ぶ。宗教のお祭り、娘様との再開、さまざまな気持ちがある。
気持ちもいっしょに運ぶ。
コメント