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待つことができる精神科

筆者より

倉敷に待ち時間のなが~い精神科病院がある。入院もできる病院です。

Drにもよるが、平均1時間以上の待ち時間である。1時間。。60分が一回。1分が60回。ただ待つというのは、結構苦痛である。この苦痛と思われる待ち時間に付添を行うことがある。時には2時間を超えるような時もある。

精神科と言えば、変な病気、変な人、病んでる人、などマイナスなイメージが強いと思われます。がそんなことばかりではないことがわかり始めた。ただ眠れない、ただしんどく感じている、そんな方でも受診されているようだ。

本日は、その付添の日であった。この付添は待ち時間をひたすら一緒に待つ。診察室に入り約5~10分のDrの話を一緒に聞く、聞いたことを依頼元を報告する、という内容である。

11時に受付を済ませた。整理券が渡される。番号が書かれてあり、90と書いてある。これまでで一番多い数字である。呼び出しの番号を聞いているとまだ40番台であった。あと50人!?と驚いた。たわいもない話をしながらひたすら待つ。いろんな患者さんがうろうろされている。大きな声を出している方もいる。それを制止しようとしている方なども。だいたいこのような診療科には付添の人が来ている。付添なく単独で来られている人は、先に言った不眠などでお困りの方のようだ。

ふと思った。このような待ち時間を待ってまで診察を受ける。この時間がどんなにか有効に利用できないものだろうか?と思ったりもする。何かを起こすには時間は必要不可欠、時は金なり。など言われることもあるように、一生のうちにこの時間を繰り返し費やすことはどういうか、もったいない。そうもったいない。と思ったりもする。

ただ昨日の金光教のお客様もそうであるが、何かを頼りにしたいと思われる気持ちがあるということ。そういう人がここにいるのであるという事実もある。

この日は、90番という数字ではあったが、担当のDrに希望されている方は少なかったようで12時半ごろには終了となった。お客様も、今日は早かったわねぇと喜ばれていました。

このような一幕の一日であったが、この方には「待つ」というか「待てる」性格というか忍耐というか、忍耐とも思われてないかもしれませんが、とにかく「待つことができる」のである。

待つということは、その時間を費やすということ

その費やした時間を無駄に思う人もいれば、有意義に感じる人がいる。

人の価値観って、それぞれ違うということは分かっているが、それを分かった上で付き合いができればいい関係を築くことができるが、みんながみんなそんないい関係になるわけはない。

付添という仕事もそれを仕事と割り切っているから待つこともできるのだろう。

たわいもない内容となった記事です。

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